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偉大なる演奏家:モーリスアンドレ

公開日: : 最終更新日:2009/11/15 トランペットコラム

アンドレ

作成日:2002年6月16日
作成者:管理人

翻訳元 : O-J’sTrumpetPage

背景

モーリスアンドレは、エール地方のセヴェンヌの炭坑夫の家庭に、1933年5月21日に生まれた。父親は大の音楽好きでアマチュアのラッパ吹きだった。父は小さな村で演奏をしたある日の帰りに、アンドレに古めかしいコルネットを持ち帰ってきた。その頃12歳半だった彼は、それから2年間ソルフェージュをやった後、ラッパという楽器に惚れ込んでしまったのだ。

「父は、”Lily Lily Bye Bye”を私に与えたっきり、他のラブソングなんかを全然くれなかったんだ。5日後、私はそれを吹けるようになった。確か4分の2拍子の曲だった」父はこうやって私をのせたんだよ、そして、父は私にポピュラーソングを教えてくれたんだ。

また、父は、自分の友達であるLeon Barthelemyという、パリの音楽学校でMerri Franquin教授の元に学んでいた男のもとにモーリスを勉強に行かせるという優れたことをした。Barthelemy氏の元でモーリスは、アーバンの様な教則本を買わされた、それに関してモーリス氏は現在こう言う

「Barthelemy氏やMerri Franquin氏とやった凄い教則本だよ、アーバンは。そう、あれで、柔らかいアタックや朗々としたアタック、全ての種類のタンギングなんかを学んだよ。」

彼は私に、そういったタンギングや、安定したピアニッシモの吹き方を詰め込んだよ。みんな知ってるとは思うけど、Franquin教授の教則本を振り返ってみると、私はやっぱりこれは最高のメソッドだと思います。

4年間の後、Barthelemy氏はモーリスの父親に、未だに炭坑で働いていたモーリスを、パリの音楽学院に行かせてはどうかと言った。しかし、炭坑夫でしかない父親には、とてもそんなことはしてあげられそうになかった。そこで、Barthelemyは提案した。モーリスを陸軍音楽隊に入れてみてはどうかと。その後すぐ、モーリスはマウントヴァーノンの第8連隊にいた。音楽学校において、これでモーリスはタダで籍を置けることとなったのだ。モーリスは鉱山を後にし、Raymond Sabarich教授の元に入った。
その頃の写真を見れば、彼の軍服姿を見ることが出来る。

鉱山夫の子どもとして、お金なしにパリで生きていくのはたやすいことではなかった。彼はいつもバラックで食べ、眠った。Raymondはすぐにこの若い坑夫が素晴しい才能を持っていることを見抜き、そして彼に特別なレッスンを与えた。

その頃のことをモーリスはこう回想する。

パリに行って3ヶ月後、Raymond Sabarich教授は素晴しい人だよ、本当に他に言い様がない。彼は私に本心の一部を打ち明けてくれたんだ。彼は迷い無くすぐに、私には才能があるって分かったそうだ。というか、そう言われたんだよ。あぁ、だから、私に課題を課したのかな…?。けど、私は彼の期待に沿うようには出来なかったんだ。3ヶ月後、彼は私に叱責の言葉を投げ掛け、そして教室の外で私を軽くこづいたよ。教授は死ぬまでいつも私に言ってたよ、モーリスアンドレはいつ目覚めるんだ?ってね。上手に叱ってくれることは、なんて素晴しいことなんだろう。

そしてその3ヶ月後、モーリスアンドレはアーバンの後ろから14コの練習曲を、全てただ一つの間違えも犯さずに繰り返したのだ。

受賞者

パリで6ヶ月ほど働き、コルネットを練習した後、彼は一等賞をとった。そして翌年には、トランペットでも一等賞をとったのだ。1955年彼はジュネーブ国際競技会でも一等賞を受賞した。

彼が30歳を迎えた1963年、モーリスはミュンヘン国際コンクールの審査員にならないかと言われた。その時彼は、しかし自分もそれに参加できることに気づくと、参加し、一等賞をまたかっさらったのだ。

ソロアーティスト

1963年の賞は彼のソリストとしての経歴の出発点でした。それに先立って、彼は” Orchestre Philharmonique del la R.T.F”や”Orchestre des Concerts Lamoureux.”のようないくつかのオーケストラ中のトランペットを演奏した。
彼のソリスト生活においてとても重要な人物は、彼がスイスの、モントレーで出会ったリリアンだった。6ヶ月後、彼らは結婚することとなる。

リリアンは、モーリスの才能を見抜き、彼のマネージャーとしてそして旅行の付添人となった。モーリスがソリストとしてはじめたとき、トランペット向けの曲はほとんどなく、トランペット自体、バイオリンやオーボエなどのようなソロ楽器とは考えられていなかったのだ。レパートリーに加えるべく、彼はバイオリンやオーボエの譜面を、トランペット用に編曲したのだ。

彼はまた、ピッコロトランペットを使いはじめた。現在は130以上のピッコロ用の編曲がある。例えば”Tartini Concerto in D major for Trumpet and Orchestra”(原曲はバイオリン)は、Jean Thildeによって編曲されたもので、今でも沢山の演奏者によって演奏されている。

モーリスアンドレは世界中を飛び回り、多くの偉大なコンダクタおよび大きなオーケストラと演奏した。20年前1978年の彼へのインタビューを見ると、Jean-Pierre Mathe’zに、自分は年220のコンサートを行ったと言っていたし、そして多分年平均180はやっているだろう、と。ということは、1978年までに、彼はすでに2700以上ものコンサート行っていたに違いないのだ。

レコーディングアーティスト

コンサートに加え、モーリスは300以上のレコーディングをこなしている。60年代の初期にLP板が出来たときからだ。初期の多くのレコードは、フランスのレーベルEratoの為に作られたものだ。後年彼はCDもいくつかだし、昔のLPもCDに再収録されたりしている。
ここに不完全だがリストをあげておく。

管理人より
原文には、モーリスアンドレのアーバン演奏などの音源が多数ありますので、是非行ってみてはいかがでしょうか。

また、翻訳間違いなどありましたら御一報下さい。

▽原文を開く( O-J’sTrumpetPage Home )

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